1974年埼玉生まれ。油彩画、鉛筆画を手がける画家。東京造形大学卒業。ヨーロッパ、特にフランスを中心に現地での取材を重ねている。パリ、ロンドン、ベネチア、ニューヨーク、ワシントンDC、ソウルなど海外での展示のほか、国内アートフェアへの出品多数。公益財団法人出羽桜美術館、西武池袋本店、高輪会、彌生画廊、平野古陶軒、至峰堂画廊などで個展を開催。
代表作『YF1000』の完成を機に、2026年3月これまでの制作をまとめた作品集を刊行。
2026年9月より、日々の制作や道具について綴るエッセイ『アトリエから』の連載をWEB上で開始。
作品について
ブドウなどの果実、フランスの蚤の市で見つけた品々(アンティーク)など、対象を大きく画面に切り取り、背景を一つのトーンにまとめ上げる油彩画。そして、対象がそこに在ったという事実だけを紙に刻みつける鉛筆画。この二つの表現を軸に制作を続けている。並行して近年では、フランス・パリの建築・風景を題材とした絵画を制作している。
「物・事・場所」を表現を展開させるための着眼点とし、モチーフや現地取材を大切にしている。モチーフに対する個人的な関心と、美術史・文化史との結びつきから、独自の絵画表現を追求している。
古典的な静物画は、すでに完成された芸術であり、時代を超えて多くの人々を魅了し続けている素晴らしい芸術作品です。17世紀ネーデルラント、静物画を得意とするコルネリス・デ・ヘーム(Cornelis de Heem,1631-1695年)。私は彼の絵に心を奪われ、特にその透き通るような葡萄の表現に、大きな影響を受けました。まだ自分の絵が確立されていなかった時期、私は彼の葡萄の表現を模範としていました。当時の西洋の静物画家にとって、葡萄は画家の技量を計るモチーフと位置づけられていたそうです[*]。私は日本に生まれ育ちましたが、私にとって油絵を画くことは、西洋美術への尊敬と共にあり、彼らからこれからも多くのことを学び続けていくでしょう。今でも葡萄は重要なモチーフであり、私を支える大きな支柱です。
私はしばらくの間、室内空間に花、果物、調度品といった、西洋の静物画のスタイルを踏襲していました。しかし次第に自分自身の欠如に気づき、それを見過ごすことができなくなりました。伝統的なスタイルの中にいるだけでは不十分だと考えたのです。自分の描きたいものを、描きたいように描いてみよう、そう考え描いた絵が『YF78』でした。2007年のことです。この絵を契機に次のスタイルが確立されていきます。対象を大きくトリミングし、その背景をひとつのトーンとマチエールにまとめる。構図、色彩、マチエールを洗練させていくことで独自の美学を見出し、「新しい静物画のかたち」の追求がはじまります。
大学生の時、白亜地の作り方を学び、テンペラ画の技法で描いていた時期がありました。その頃からずっと綿布を使用しています。麻布の支持体に比べて、綿布はきめ細かくて柔らかく、その肌合いが、私の描き方には合っているように感じます。また、油絵の場合、艶がある状態が普通で、場合によっては完成後に画面保護の観点から全体にニスを塗ることもありますが、私は艶が少ない状態を好んでいます。少しザラザラして乾いているような感じや、わずかに湿っているような肌合いは絵の中に入っていけるような親近感があり、私の絵のイメージをつくる重要な要素です。
油絵を画くこと。フランス。私にとってこの2つは、強く結びついています。少年期に出会った油絵の先生がフランスで絵を学んだ人だったことがその源だと思います。先生の画室の書棚に並ぶ画集は、フランスへの憧れを募らせました。果物を描くときも、花を描くときも、私の頭の中にはフランス、特にパリの空気や色彩のイメージがあります。実際にパリを訪問するようになると、そのイメージはより鮮明になりました。蚤の市で気になる古道具を買い集め、それらは新しいモチーフとなりました。使い道を失った錆びた缶や紙箱に、私は心惹かれました。かつて見知らぬ誰かが使っていたこの缶は、いま私の手の中にあり、息を吹き返し、絵を描くことで新たな命となり蘇る。それは、いまでもずっと考え続けていること、「私はなぜ絵を描いているのだろう? 」、この問に対する一つの明確な答えであるように感じています。
* エリカ・ラングミュラ『静物画』八坂書房、2004年p.130
西洋美術の歴史をたどると、そこには「キリスト教の教えを人々に広める」という大きな目的がありました。文字を読める人が少なかった時代、絵画は聖書の教えや信仰心を直感的に伝えるための大切な「教科書」の役割を果たしていたのです。美術館などで親しまれる「ヴァニタス絵画(人生の儚さや富のむなしさをドクロや時計などで象徴的に描いた17世紀の静物画)」も、こうした宗教的・教訓的な背景の中で発展しました。そうした宗教画や静物画には、時代を超えて受け継がれてきた「お決まりのルール(型)」が存在します。しかし、キリスト教的世界観を基盤とするヨーロッパの伝統を、日本で育った私がそのままなぞることに、私は違和感を覚えていました。表現とは外側の文脈の模倣ではなく、足元の実感に根ざして初めて血肉となるからです。
そこで私は、あえて多くの要素を削ぎ落とし、17世紀、とりわけオランダ静物画のモチーフを単体で描く表現に行き着きました。情報が氾濫する現代において、ヴァニタスの精神を現代の視点から見つめ直し、「一つのモチーフによる一つの物語」へと純化させる試みです。
みずみずしい葡萄の果皮や、その表面に浮かぶ水滴は、今まさに流れる時間であり、消えゆく儚さの象徴でもあります。伝統的な西洋絵画の精神に敬意を持ちながら、現代の視点で要素を再構築し、時間と記憶の結晶である「記憶の肖像」を描き続けています。