2003年当時の私は、週に2日は美術予備校で講師を務め、残る5日はアルバイトをして生計を立てていました。
ある真夏の日、炎天下で長時間働き、心身ともに疲れ切っていた私は、仕事帰りに立ち寄ったスーパーマーケットで夕食の買い物をしました。そのとき、ふと目に留まったひと房の葡萄が、私のその後を大きく変えることになります。
夕食を済ませた後、薄暗いアパートの一室で、なんとなくその葡萄を描いてみたいと思いました。誰かに見せるためではなく、ただ自分一人のためだけの時間でした。
そこで、ずっと忘れていた感覚が静かに蘇ります。絵を描くことが、純粋に楽しかったのです。
就寝前の1、2時間を充てながら、約1週間かけてその葡萄を描き上げました。至福の時間をともに過ごした葡萄は、描き終える頃にはすっかり干からびていました。
紙に鉛筆で描かれたその絵を、私は「YF1」と名付けました。
美大を卒業した後の苦しい生活の中で、自分の進むべき道を見失っていた私は、借り物のコンセプトや表面的な美しさに流されていました。しかし、この一枚を描いたことをきっかけに、一からやり直そうと決意します。
目の前の対象をただひたすらに描き、同時に、できる限り理性的でありたいと思いました。画面の中央より下に重心を置き、対象全体をていねいに描き進めていきます。自分の目でしっかりと見つめ、自分の手で描くこと。使用する材料も紙と鉛筆だけという、できる限りシンプルな方法を選びました。流行や真新しさに左右されることなく、自分だけの表現を見出したいと考えたからです。
私の油彩画では、対象の一部が画面からはみ出すようにトリミングすることが多いのですが、鉛筆画では対象全体を描いています。それは油彩画のための下絵でもなければ、ドローイングやデッサンでもありません。私にとって「鉛筆画」は、それ自体で独立した一つの表現なのです。
2003年、あの葡萄を描いた日の感覚を、これからも大切に守り続けていきたいと思っています。